人生最期の時、「ありがとう!ごくろうさまでした。」と、言って見送りたい。看取り士・シニアライフカウンセラー 佐藤ゆかりさん
醸し出す優しさと安心を与える笑顔で迎えてくれた看取り士・シニアライフカウンセラーの佐藤ゆかりさん。
「家で生まれて、家で死ぬ」が当たり前でなくなった時代。新しい「看取り」の多様性と可能性を伺うことができました。
【経歴】北海道浦幌町生まれ。トラック会社経営の父、お米屋さんの母を持つ家の長女として生まれる。将来の夢は保母さんでしたが、一転、昭和60年農家に嫁ぎ、平成8年から介護の道へ。介護士、介護支援専門員(ケアマネ)を取得、施設の生活相談員、包括、居宅のケアマネ(介護支援専門員)を経験。平成28年、看取り士を取得。平成30年にNPO法人高齢者住まいのサポートセンター、一般社団法シニアライフサポート協会、北海道エンディング支援センターの看取り士・シニアライフカウンセラーとして活躍
【座右の銘】生まれながらの悪人はいない。
【好きな書籍】いのちつぐ 「みとりびと」④いのちのバトンを受け取ってー看取りは残される人のためにも 作・國森康弘 農文協出版
【好きな絵本】北風と太陽 イソップ寓話
優しい人たちと接する中で育った「心」
記者:まずは佐藤さんの活動について教えてください。
佐藤ゆかりさん(以下敬称略):私は小さな米屋の娘として育ちました。よく母親の配達に車に乗り付いていきました。そこで色々な方々に優しく親切にしていただいたので、人が元々好きなんです。
母のお店はお米以外に、菓子、文房具、雑貨もあり、買い物に来たお客さんに倍以上のお土産を持たせたり、今思えばお米以外は「ボランティアの店」みたいでしたね。
食事の時、我が家に、近所の子どもや父の会社の従業員、独身者などが来て大勢で食べていたので「お店や会社は地域の為にあるもの」と感じていました。両親は忙しくておばあちゃん子だったので、手職を付けたくて、ホームヘルパーの資格を取得しました。
一般的には、介護は家で家族が看るのが当たり前の時代でした。これからの介護は社会全体で看るのに「ホームヘルパー育成」が推進されていたのです。
ホームヘルパーは町に登録され必要時に声がかかるという流れでした。
仕事は大好きでしたが、仕事の兼務により職場内の関係性が悪くなり、「介護士は介護士」「ケアマネはケアマネ(介護支援専門員)」「生活相談員は生活相談員」として働くのがベストと思ったのと、体力的にも大変だった、長きに渡り働いていた職場を辞めました。
フリーで一旦「いち市民(町村民)」に戻り、高齢者に必要なことは何か?を考えたく、自宅開放し、自宅相談サロン「ゆーみんサロン」を作りました。その時に、様々な意見や支援を求められ、介護保険や医療保険の制度では足りないサービスが沢山ある事を感じました。(トータルした通院介助や、趣味、温泉などを楽しむ時の介助サービスなど・・・)
その後、各市町村の役所、社協(社会福祉協議会)、居宅、地域包括で、たくさんの福祉経験(生活保護相談員、居宅、包括ケアマネ、介護予防等)をさせていただき、平成30年3月に父の介護の為、職場退職し、看取り士活動を中心とする仕事へと、シフトいたしました。
シニアにあるたくさんの困りごとを解決
看取り士活動は多岐に渡り、看取りの学びはもちろんのこと、介護施設の職員研修、高齢者住宅の講演等を、地元帯広から釧路、北見、弟子屈、札幌、旭川と全道を駆け巡っている時、札幌シニアライフサポートセンターの小番代表に声をかけていただき「看取りは「点」だけどシニアには沢山の困りごとがある。それを全体的にサポートするシニアライフカウンセラーとしてのお仕事」に魅力を感じ、業務することとなり、今に繫がっています。幸い、父の状態も落ち着き、3ヶ月に1回の通院受診でよくなったのと、親の遠距離介護の事情を理解し勤務させてくれる職場なので・・・。
〜自分のことは自分で後始末する時代〜
記者:「シニアライフカウンセラー」というのはどういった資格、また相談を受けるのですか?
佐藤:その名のとおり「シニアライフを総合的にサポートするオールラウンドのエキスパート相談員」です。シニアがいきいきと生活できるようにサポートするカウンセラー。自分らしく楽しい生活をすることももちろんですが、困っている人がいたら助け合う、支え合うこともシニアライフカウンセラーさんです。
札幌シニアライフサポート協会は「住まい探し」「不用品処分」「不動産処分」「身元保証」「相続」「遺言」「葬儀」「お墓」と多岐にわたり無料相談行なっていますが、私は主に「終活相談」を行っています。「終活相談」とは、葬儀はもちろんのこと、看取り、納骨、遺産、遺品整理まで、それぞれの心配ごと、要望をお聞きしサポートします。
自分のことは自分で後始末する時代、子供は子供、自分は自分と考える方が多くなってきましたね。それと「おひとりさま」の方も、ずいぶん多くなりました。夫婦でいても、片方が先に逝かれると、最期はみんな「おひとりさま」ですからね。
おひとりさま寄り添い士は心を寄り添う人
そこで、「おひとりさま寄り添い士」という養成講座を、2019年より創りました。
「私の想い・希望を一つの綺麗な箱に詰める」と言うセットなどがあると、その方も安心していられるし、お金も準備しておけば残された方も困らない。エンディングノートも作成し、そこに「全部書いてある」というものがあれば、生きた証みたいになる。と考えました。人は、信頼関係が大切だと思います。近くにいる心優しき方々に「おひとりさま寄り添い士」を取得していただき、そのサポートをする。ひとりひとり支援のニーズは違うと思います。ある人は「通院介助、買い物、会話」だったり~ある人は「床屋、映画、雪はね(雪かき)」だったり~その方の必要な支援を、必要なだけするのが「おひとりさま寄り添い士」です。
介護、医療は「生きる事に必要な部分」の支援しか認めていません。また、今後もっと利用が厳しくなるでしょう。「おひとりさま寄り添い士」はその方に「心も寄り添う人」です。
昔の近所付き合いのように「近くの方が近くの困っている方を支える」がこれからは、ボランティアではなく契約で必要とされる時代と考えます。私もたくさんのボランティアをしたり、していただいたり経験ありますが、互いにwin-winの関係が、責任持って継続できる秘訣だと感じます。自分の最期を本当に心配する方がたくさんいます。そんな時、信頼ある「おひとりさま寄り添い士」がいる事で、ずいぶん心穏やかになれるのではないでしょうか。
夢はみんなで集まる大家族のようなコミュニティづくり
記者:自ら新しい道を切り開いて来た佐藤さんの「夢」を教えてください。
佐藤:大人も、子供も、障害があってもなくても、ご縁のあったみんなで共同生活ができる、シェアハウスを作るのが夢です。まずは普通の一軒家に4人での生活スタイルを作る。4人はコミュニケーションがとれる丁度いい人数だからです。まあ、疑似家族みたいな。私はそこの大家さんで一緒に住むのです。その一軒家が沢山できてきて、親戚みたいな関係に・・・そして、みんなで集まる大家族のようなコミュニティが出来たらいいなぁ~と思います。
友人で、高齢者住宅を経営している人がいて、「フルールハウス」というのですが、各居室にキッチンがついてて、自由に生活できる所なんです。先日、縫い物が大好きなおばあちゃんとのご縁があり、前にいた住宅では危険だ、危ないと、管理されていました。現在は自由な時間に、自由に縫いものができ、職員さんのエプロンを作ったり、共有スペース部分のソファカバーや、クッションなど作ったりして、皆さんに喜ばれ、生き返るように明るく元気に暮らしていました。
「自分らしく楽しみを持ち生きる!」というのが、素敵ですね。
介護制度の複雑さと人で不足
記者:今の高齢者をとりまく医療や介護の制度で感じることはありますか?
医療、介護の制度がすごく複雑化し、制度と制度がからまり、次から次へと変わっていく。それが一般の皆様にはとてもわかりづらい。「今、目の前で困っていることの対処のように、制度が作り変えられている」そんな気がします。もっと、先々の事を見通し、安心して老後が過ごせる、そんな制度になってくれると良いですね。
そして、一番の問題は介護の人手不足ですね。
介護が好きでも収入面が原因で結婚後転職したり、妊娠や育児で体力的に出来ず、辞めてしまう。収入の面も業務も面も多様なスタイルで介護を好きな人が辞めなくてもいられるような仕組みがあると良いですね。
記者:介護や看取りの業界にいて一番ツラかったことはなんですか?
佐藤:そうですね〜仕事では、辛いって思った事は、ほとんどないです。
でも、「良いことをやって(同僚に)怒られる」ということで、悩んだ事はありましたね。
女性の職場ですからね~~~いろいろあります。
生活相談員をしていて学んだ事は「視点の違い」と「総合ケア」ですね。
ある糖尿のおばあちゃんが居て「行事の時の食事をどうするか?」となり、当たり前ですが、栄養士は栄養からの見解があるし、看護師は病気からの見解、介護士は生活面からの見解でみるんです。だから、誰が良いとか悪いとかじゃなく、それぞれの見解を主張する。みんな責任ある方で自分の業務に誇りを持っているので、なかなか平行線なのです。でも、その中でも互いに議論し、その方にとってベストな選択を促す進行役が「生活相談員」なんです。その時、私が思ったのは、みんな自分の仕事に完璧すぎて「ご本人とご家族の想いは???」と、言うことです。多少リスクがあっても私は「ご本人の想い」を大切にしていきたいですね。
貰った命を生かし、相手がして欲しいことを
記者:一般にやる気がない働く人が増えている今、佐藤さんの仕事の「原動力」はなんですか?
佐藤:私3回死にかけてるんです。
1回目は「拒食症」です。
農家に嫁いで、言われた事を朝から晩までしていたら「拒食症」になったのです。「このまま、こんな生活してたら死ぬ」って医師に言われました。原因はストレスです。わたし、無駄に責任感強くて言われた事は全部やりたくて…体力的に無理だったのですね~。それからゆるく生活しました。
2回目は、「メニエール病」です。
仕事が大好きで、人も大好きで、夢中で働いていましたが、職場の上司や同僚と温度差があまりにも違い、罵倒されたことがありました。
今までの自分がしてきた介護全てが否定されたように感じて、精神のバランスが崩れました。心が病み、気力もなくなり、合わせて、縁戚、知人の不幸もあったり〜辛かったですね。
目の前がいつもグルグル回っていて、平行に歩けない。ずっと車に酔っているみたいで・・・気持ち悪くて、思考も停止したいくらいでした。
3回目は車の事故です。
子供3人育てるために朝晩寝ずに働いて、つい居眠りしちゃって、崖から3回転半回転し転落したんです。走馬灯の様に小さい頃からの思い出の画像が流れていました。でも、私は無傷だったのです。当然車は廃車。その時、何かに守られてる!「ご先祖様に守ってもらった、頂いた命だ!」みたいに、すごく感じた。「まだ、生きなさい、生きてやるべき事があるでしょう。」みたいな・・・。
この3回の出来事があってから、「人はいつ死ぬかわからない!」と強く感じ「毎日毎日を大切に生きる。」を意識するようになりました。
もともと人が大好きでしたので、「両親のように人のお役にたてる人!」になりたい。と強く感じました。
そして「看取り士」との出逢い・・・
人はいつ死ぬか分かりません。けれど、必ずいつか、亡くなります。
「その人がその人らしく、最期、自分の人生良かったなあ~」と、思って欲しいです。
「生きる!」ってしんどいです。楽しい事もあるけど大変な事もたくさんある。
おひとりさまの増えた今、人生の最期の時「ありがとう!ごくろうさまでした。」と言って見送りたいですね。
そして、「自分は親から生まれている。」という事を、もう一度再確認して欲しい。父、母、両親がいたから私たち(自分)は存在する。親、祖先を大切にして欲しいですね。自分たちが生まれ、オムツを替え、ミルクを飲ませてくれたように、少しでもいいから、年老いた親を看て欲しい。遠くてもできる事はあります。無理しなくていい、できることを・・・。
「北風と太陽」というイソップ童話が好きなのですが、「太陽のように温かく包み、接すると心を開いて優しくなる。」逆に「冷たい風をあびせ厳しく接すると、心を閉ざし冷たくなる。」そう思える童話です。
「生まれながらの悪人はいない。優しく、温かく見守る。」
それが私は人と人との関わりの基本かなと感じています。
記者:ありがとうございました。
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【編集後記】
取材を担当した深瀬、原田、内澤です。3度死に目にあった佐藤さんは「何が起きても大丈夫、私がいるよ」と、聞こえてきそうなくらい器が大きな方。新しいシニアのライフスタイルの選択肢には彼女がイメージする「シェアハウス」があったとしたら、年を重ねることに希望が持てる気がしました。高齢者もその家族も、地域も気持ちよく、楽しく過ごせる未来を創造してゆきたいと改めて感じました。