「選手の目になり切る」をモットーとする 視覚障がい者マラソン 伴走者 堀内規生さん
視覚障がい者マラソンの伴走をされている、堀内規生(ほりうちのりたか)さんにお話を伺いました。
堀内規生さんプロフィール
出身地:福岡県
活動地域:福岡県
経歴:日本体育大学体育学部を卒業後、社会人・大学・クラブチームのラグビー部トレーナー、2014年から道下美里選手の伴走を務める。
2014年ロンドンワールドカップ 銀メダル
2015年ロンドン世界選手権 銅メダル
2016年リオデジャネイロパラリンピック 銀メダル 他
現在の職業及び活動:株式会社カムラック 広報・営業、視覚障がい者マラソン 伴走者
座右の銘:“No Pain, No Gain.”(苦しみなくして得るものなし)
「好きこそものの上手なれ」
4時半に起きる毎日
記者:堀内規生さん(以下、堀内 敬称略)は現在どのような活動をしていますか?
堀内:ほぼ毎朝4時半に起きています。4時半起きは少なくとも5、6年は続けています。そこから出勤する前までに、お弁当作り、トレーニング、アイロンがけ、家事全般を行い、会社に行きます。そして会社から帰ってトレーニングをしています。
アイロンがけをすると、気が引き締まるので好きです!
道下美里選手の伴走をして金メダルを取る!
記者:堀内さんはどのような夢やビジョンをお持ちですか?
堀内:2020年の東京パラリンピックで道下さんが金メダルを取ることであり、その時に私が伴走することです。
伴走の役割は目の代わりをすることです。どこまで相手の目になりきれるかを常に考えています。
人間対人間ですから、性格が合う合わないもありますが、コミュニケーションを取る中で、お互いがわかる言葉「共通言語」を見つけるようにしています。伴走者がいつも同じ人ではなく、日によって変わりますので、共通言語があると話が通じやすいです。
自分自身の走力を向上させる
記者:「2020年の東京パラリンピックで道下さんの伴走をして金メダルを取る。」という夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
堀内:日々の練習によって走力を上げ、フルマラソンの記録を向上させることです。
視覚障がい者マラソンでは、選手より伴走者の方が速く走れることは大前提として大事なことです。ただ、速いだけで良いわけではなく、性格的な相性、伴走の技術も大事です。
フルマラソンを始めて6年くらいは記録は伸び続けました。しかし、ここ3,4年は停滞してしまっています。
毎年12月、有名選手も参加する福岡国際マラソンがあり、市民ランナーも記録が2時間35分を切れば出場できます。その大会に出場したいのでいくらマラソンが苦しくても諦めることができません。
道下選手との出会い
記者:そもそも「2020年の東京パラリンピックで道下さんの伴走をして金メダルを取る。」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような出会いがあったのですか?
堀内:道下選手との出会いがあったことです。その前に、障がい者マラソンと出会うきっかけがありました。
最初は趣味でマラソンをしていて、ある日公園を走っていた時、近い距離で一緒に走っている2人組を見かけました。「何だろう?」と思って好奇心で近づいてみたら、1人が「視覚障がい者」、もう1人が「伴走」と書いてあるゼッケンを着ていて、「伴走」のゼッケンの人が知り合いだったんです。初めて視覚障がい者のマラソンの存在を知った瞬間でした。
2人について走っていると、視覚障がいのあるランナーが、目が見えないはずなのにカーブを上手に走り、「この先にあるトイレに行ってもいいですか?」と伴走者に聞いてたのです。「目が見えないのに何でこの先にトイレがあるとわかるんですか?」と聞いてみたところ「いつも走っている公園なので、カーブの回数などでわかります。」という返答でした。
さらに、彼のマラソン自己ベスト記録は私よりも速く、フルマラソンで3時間切るのを目標にしていることを知り「自分も3時間を切りたい!」と思うようになりました。
その後伴走をする中で、道下美里選手との出会いがありました。彼女は私に夢をくれた人です。彼女と出会えたからこそ、パラリンピックや世界選手権に出場するという、普通ではできない経験ができたのです。
大人になっても夢を持つこと
記者:道下さんとの出会いの背景には、何があったのですか?
堀内:「大人になって夢を持てるっていいな。」と思ったことです。道下さんを見ていて、そう思っている自分に気づきました。
道下さんの魅力は本気度です。とても頑固で、こうと決めたら意地でもやりとげます。それには理由があります。私たちは一人でも練習できますが、彼女は伴走者がいなければ練習できないからです。常日頃から、夢を叶える為に、雨だろうが雪だろうが、何がなんでも伴走者といる時間は練習したい思いがあるのです。
まるで目が見えるかのように走らせてくれる
記者:今まで伴走をされている中で一番嬉しかったことは何ですか?
堀内:レース直後、道下さんがメディアの前で「私の伴走の方は、まるで私の目が見えるかのように走らせてくれるんです。」と言ってくれたことがありました。
私はこの言葉がとても嬉しくて、今でもずっと忘れられません。選手の目になり切ることをモットーに、研究し、修行してきたので、それが伝わったからです。
結果にこだわるが故に
記者:一番辛かったのはどんな時ですか?
堀内:2つあります。
1つ目は、膝を痛めていたことを隠してレースに参加した時のことです。足を引きずりながら走っていたら、途中で痛みに耐えられなくなって「ウッ」という声が出て、選手にばれてしまいました。選手には最後まで安心・安全で走ってもらうのが伴走者のつとめですが、それが唯一できなかったレースだから辛かったです。
2つ目は、「今」です。2016年のリオパラリンピック以降は世界選手権や合宿にも呼ばれなくなりました。たまにしか練習に呼ばれなくなっているのが正直なところ辛いです。
2016年のリオパラリンピック出場のことなど、これまでの経験・苦労・失敗を伝えていきたいですし、伝える使命感を持っています。
パラリンピック障がい者スポーツを通して、障がいを持った方、病気の方が少しでも外に出てやりたいことができる世界にしていきたいです!
記者:堀内さん、今日は本当にありがとうございました。
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編集後記
今回インタビューの記者を担当した吉田&飯塚です。
以前インタビューさせていただいた、株式会社カムラック・賀村社長からのご紹介により、今回のインタビューが実現しました。
堀内さんはただ速く走るだけでなく、「共通言語」を使った、選手とのコミュニケーションを大事にされている点が印象的でした。
結果にこだわり、その結果を生み出す日常の習慣化を徹底的にされている姿勢態度は多くの方の手本となることでしょう。
今後の更なるご活躍を期待しています!