「依存から自立へ 関係性の変化から組織をつくる」ラセクゥール株式会社“寿木藍さん”
離職率の高い歯科業界に従事する一人一人が互いの存在価値を明確にし、愛情溢れる職場づくりの革命児。歯科業界に噂が広がり全国を飛び回る寿木藍さんにお話しを伺いました。
寿木 藍さんプロフィール
出身地:滋賀県 高島市
活動地域:大阪府
経歴:高校卒業後、日本歯科学院専門学校にて歯科衛生士の資格を取得。20歳から歯科医院にて勤務。職場でチーフという立場にたったことがきっかけで、離職が絶えなかった職場を1年で離職率ゼロへの組織改革に成功。そのノウハウを業界へ広げるために2013年ラセクゥール株式会社を設立。
現在の職業及び活動:2013年に起業。ラセクゥール株式会社設立。主に歯科医院の組織つくりコンサルティングを行う一方、女性が社会進出するための活動サポートも行う。
座右の銘:どうせ働くなら楽しく働こう!
歯科業界の働く環境を良くしたい
Q.今、寿木さんはどんな夢やVisionをお持ちですか?
寿木藍さん(以下、寿木)口は命の入り口であると言われます。しかし、そこに携わる歯科業界の人たちが健康ではない状態があります。歯科業界は離職率が高く、資格保有者の4割しか資格を使って仕事をしていない現状なんです。
まずは歯科業界を満たされた人を増やし、人で悩まない医院をたくさんつくりたいと思っています。
歯科衛生士の離職理由の一番は人間関係。業界全体は人手不足なのに去っていく人が多い状態。医学の進歩に人が続かないから、医学と人の両輪のバランスが悪くなっています。
現在、歯科医院の数はコンビニよりも多く約7万件と言われています。
働く人の教育に力を入れないと生き残れませんし、先生一人のワンマンじゃ運営できない業界になってきていると思います。
何をやるか以上に誰とやるか
Q.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
寿木 一医院ずつ職場の人間関係を良くしていくことをやっています。
職場のコミュニケーションから関係性を改善し、全員が自立した状態の組織を生み出していくしかない。
うまくいってないところは、依存関係になっています。
スタッフが院長に依存しているか、院長がスタッフの教育を放棄しているか。院長が人を育てることに対しての責任がなく人が育たない。
当人たちが気づかないと変わらないので、私たちはあくまで気づきの促しと支援をするだけです。全国各地で自立型の医院を着実に一つずつ作っています。
記者 一つ一つ丁寧にやっていくんですね。
歯科業界を幸福度の高い業界にしたい
Q.その目標や計画に対して、日々どんなことを大切にされていますか?
寿木 当社の理念である“お互いの存在を尊重し合い、愛溢れる組織を作る”
これに沿ったこと以外はしません。
上下関係ではなく、尊重のベースに院長とスタッフが一緒に取り組みをする。
記者 尊重し合うとはどんなイメージですか?
寿木 相手の話を聞くこと。その為には、まず話を聞く環境を創ることが大事です。院長が先に伝えようとするとスタッフは聞く耳を持たない。
一昨年、昨年と世界幸福度ランキング1位であるデンマークに視察に行きました。
デンマークの教育は長所を伸ばし、苦手なことはチームを組んでサポートすればいいという考え方なんです。
自然と相手を尊重することができるようになりますし、得意なことに集中できるので学ぶことも楽しくなりクオリティーも高くなる。
今、サポートさせて頂いている医院では長所進展法を取り入れているところもあります。強みを活かしたポジションを与え、組織みんなで医院を良くしていく。
強みを活かし合える方がどんどん主体的に動くようになりますし、生産性が上がります。
生産性が上がると働く時間を短くしても業績が上がるので、プライベートの時間も取れるようになります。
ちなみに、デンマーク人は16時には仕事を終わります。
記者 日本とは全然違いますね。
寿木 物事の前提が変わると自然とすべてが変わります。それは組織づくりにおいても同じことです。
Q.起業までしてやろうと思ったきっかけは何ですか?
寿木 院長のことを尊敬して入ったのにも関わらず、私がその医院に入社してすぐに院長が陰でスタッフに嫌われていることを知りました。
揉めごとは多いし、退職者は絶えない、誰かいつも泣いているし、やりがいを持っていた仕事もだんだん面白くなくなっていきました。
そんな時、院長とチーフの大ゲンカがありました。それを見たときに
「本当に院長が悪いんかな?」と思いました。
今まで私は人のせいや環境のせいにして不平不満を言って、人の意見に合わせて生きてきたなと思い、「わたし、変わりたいな。」とぽろっと言ったところ、それを聞いていた副院長に
「人は変わろうとするとき悪い方向に変わりたい人はいないから、変わろうとする行動は人生いい方向に変わりますよ。」
と言われました。
ケンカの翌日、職場で「わたし変わろうと思うんです。みんなが楽しくなるような職場にしたい。」と宣言しました。当時の院内は荒れていたので、は?という雰囲気もありましたが、一番若いバイトの子がボロボロ泣きながら「人生で一番感動した言葉です。」と言ってくれました。
この子の涙を裏切ったらあかんというスイッチになって、1年間で徹底的にやってみました。本を読んだりセミナー行ったり、みんなが帰った後、1人で院内の掃除したり。
そんなことをやり続けていると少しずつ協力者が出てきてくれました。
取り組み自体が楽しいってなって
2年で20人も入れ替わっていた医院がその後辞める人がピタッと止まりました。
その噂が広がり全国から医院見学が殺到しました。
「自分の院もこんな職場にしたい」「諦めず頑張ろうって思いました」など、見学に来た人たちが主体的で自立したスタッフの姿を見て、泣いて帰るのを見ました。
その時、自分たちの頑張りが誰かの光・希望になるんだと感じました。
そして、講演依頼が来るようになりました。
院長が「これだけ業界に求められてるならあなたの使命じゃないの?起業したら?」って背中を押してくれて起業することにしました。
記者 退職者ゼロってすごいですね。
親のためにも死んだらいけない
Q.ケンカを見たときに自分が変わりたいって思った背景には何があったんですか?
寿木 小学生の時に2年間、学校のみんなから無視をされていました。
親にはいじめにあってることがバレたくなかったので相談をしませんでした。
当時、クラスには35人いるのに存在を無視されている状態で、心が死ぬなと感じていました。
いじめによって何度も死にたいと思いましたけど、死ねませんでした。それは親から愛されているのは感じていたから。たった1人でも本気で愛してくれる存在がいたら生きていけると思いました。
2年間耐えたいじめ、親にもずっと黙っているのにある日洗面所で歯磨きをしていたら鏡越しで目があった母から突然、
「学校行かんでいい。今日は学校休みなさい、良く頑張ったね、お母さんに全部話して。」と言われました。
その時、私が2年間のいじめの中で心を保つために毎日書いていた日記を母に見せました。
そうすると母は大号泣しながら「薄々感じてたけど、言ってくるまで待ってた。」と言ってくれたんです。
そこから親が学校とかけあってくれました。
家に同じクラスの子の母ですと訪ねてきたんです。その子からは何も悪いことされてないのにも関わらず、そのお母さんは土下座をして
「同じクラスの子が辛い思いしてるのに助けないのがうちの子が悪い、申し訳ない。」
と泣きながら頭を下げる姿を見ました。
「こんな大人もいるんや、見て見ぬ振りをして何も行動しないことも悪なんだ。」ととても衝撃的でした。
院長とチーフのケンカを見たときに、その時のことがフラッシュバックしたんですよ。
このまま人の意見に合わせてふらふらと場所変えたり、人に嫌われたらいけないとか一人ぼっちになる恐怖とか自分の意見を言わずに押し殺して生きてきたけど、
「本当にこのままで後悔しないかな?」「見て見ぬ振りをして何も行動しないままでいいのかな?」と思い、
ここやな、変わる時は!と思いました。
そう決断した時から、毎年今が一番楽しいと言える生き方ができています。
自分が主役として人生を生きることができています。
記者 親からの愛が生きる力になったんですね。
記者 最後に読者の方へのメッセージをお願いいたします。
寿木 助け合い、尊重し合える社会が広がれば、自分自身も幸せになります。日本もそうなればいいなと思うので、私からそれをスタートさせたいと思っています。
記者 寿木さん、今日は本当にありがとうございました。
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寿木さんについての詳細情報についてはこちら
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【編集後記】
今回インタビューの記者を担当したCallingerの帆足と所です。
歯の治療に来る方に「心の掃除もありがとう!」と言われるほど誰に対してもコミュニケーションを大切にし、気持ちの良い関係性を築く寿木さん。小学校でのいじめの経験から親の愛の大切さや大人の姿など、すべての経験を今の活動に活かされています。目の前の人が心の底で願っていることに寄り添いながら理想まで伴奏する寿木さんの姿に感動しました。
寿木さんのこれからのご活躍を応援すると共に楽しみにしております。