人と人とのご縁を繋ぐイベンター ”清水里紗さん”
人と人とのご縁を繋ぎ、ビジネスマッチングをされている、元気いっぱい”アラレちゃん”こと清水里紗さんにお話を伺いました。
清水里紗さんプロフィール
出身地:大分県
活動地域:福岡県
経歴:福岡の看護学校を卒業後、看護師となる。尊敬する会長と出会い、恩返しをしようと、イベンター・仲介業として独立。
現在の職業及び活動:イベンター、仲介業
座右の銘:一期一会
人と人とのご縁を繋ぎたい!
記者:アラレちゃんはどのような夢やビジョンをお持ちですか?
清水里紗さん(以下、アラレ):人と人とのご縁を繋いでいきたいです。ご縁をつなぐことで新たなストーリーが生まれていきます。”ストーリー”というのは、ビジネスマッチングのことです。内容は何でもよく、私自身が一度体験し関わってみて、良かったものだけをビジネスマッチングとして提供しています。
記者:人と人とのご縁が連鎖していくことで、新たなビジネスが生まれていくわけですね。
一声で300人を集める
記者:「人と人とのご縁をつなぐことで新たなストーリーを創る。」という夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
アラレ:3年以内に、私が一声かけるだけで300人が集まるようにしたいです。
イベントに来てもらうだけでは意味が無いので、イベントを楽しみ、来た目的を果たしてもらいたいです。
30歳でいったんイベント業を辞めて、結婚したいです。その時は”アラレの卒業式”をします。その後は仲介の仕事が定着する予定なので、それを会社にしたいです。私は元看護師でイベンターをしていますが、私の姿を見て同じようにイベンターになった人が何人かいます。
記者:「楽しむ」というのはどのようなイメージでしょうか?
アラレ:来た人がイベントの1次会からなかなか帰らないことです。
「ここにきたお陰で●●ができた。」のような報告がくると嬉しいです。その場だけで終らずに次につながる何かが生まれると、楽しんでもらえたと思えます。
どんどん人に会っていく!
記者:「3年以内に、一声で300人が集まるようにする。」という目標に対して、現在どのような活動をしていますか?
アラレ:とにかく、どんどん新しい人に会っています!
イベントを主催するだけでなく、他のイベントにも参加しますし、イベントを紹介されることも多いので、行くようにしています。いろいろなイベントへ行くことで新規開拓ができて意欲的な人も集まっていきます。
一人で何かを生み出すのは苦手なので、他の人から提案してもらい、それを形化することが好きです。いろいろな人達、大きな団体とコラボをすることが多いです。
会長のようになりたい!
記者:そもそも、「人と人とのご縁をつなぐことで新たなストーリーを創る。」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見があったのですか?
アラレ:今の私がいるのは2年前、”会長”と呼んでいる人と出会ったことの影響が大きいです。会長は私が騙された時、利益関係なく救いの手を差し伸べ助けてくれました。私も会長のようになりたいし、恩返ししたいです。
会長と最初に会った時は、相手にもしてくれませんでした。後日セミナーで一緒になり、金融の話をしたとき、「何のために金融をしたいの?」と聞かれ、私は「安定のため。」と答えました。それに対して「あなたは看護師という安定した仕事をしているでしょ?」と言われました。「私は今のことしか見ていなくて、将来のことを見ていない。」と気づき、会長からコンサルを受けることにしました。
記者:会長がそこまでしてアラレちゃんを助けてくれたのはなぜだと思いますか?
アラレ:会長は「この人と仕事したい!」というとき、結婚相手のように「びびっ」とくるそうです。私を見て、「年下で経営者でもないのに、びびっときたのはアラレが初めてだ。」と30人のセミナーの前で言ってくれました。雲の上の人である会長が言ってくれたことに対して、このような喜びはなかったです。私も会長のような人になりたいです。
記者:「びびっときた。」というのは、会長の直感だったのでしょうか?
アラレ:いえ、私とコミュニケーションを取ってみたときに、会長が持っている、”一緒に仕事をしたい人間像のリスト”に私が全部当てはまっていたそうです。会長は「恋愛ならこの人。」「仕事をするならこの人。」と、迷わないようにリストにしています。
記者:会長から質問されたことで、自分を見つめなおすことができたわけですね。
諦めと希望
記者:「会長に恩返しをしたい!」という気づきの背景には、何があったのですか?
アラレ:「何も思った通りにならない。」という強烈な諦めと、その反面「何でも自由にやりたい!」という自己を認識したからです。
私はいわゆる”箱入り娘”で、専門学校を卒業する21歳までは抑圧された人生でした。
高校まで門限が19時で、塾と家との往復しかしていませんでした。大分はジョイフル(ファミレス)の発祥地ですが、そのジョイフルにさえ行ったことがありませんでした(笑)。
高校を卒業する時、父親から「大分県の看護学校に行け。」と言われましたが、それに反発して大喧嘩をしました。
実家にいたときは、他の家と自分の家とで何か違うと薄々気づいていましたが、「うちの家族では実現しないことだ。」と、自分に自分で制限をかけて諦めていました。
祖母、母、姉、みんな看護師をしていて、私も看護師になるしか道がありませんでした。看護師は生活に根付いた職業であり、給料が良いので嫌でもありませんでした。
記者:大分から福岡へ出てきたタイミングで、今のように弾けたのでしょうか?
アラレ:いえ、福岡に出てきた時、7歳年上の元ヤンキーのお姉さんと出会いました。そのお姉さんが可愛がってくれて、いろいろな所へ連れていってもらいました。「こんな世界があるんだ!」という衝撃を受け、制限が外れました。未経験のことが多すぎて全てに興味がありました。
記者:大分から出て元ヤンのお姉さんと出会い、さらに、会長と出会ったことがキッカケで、看護師という殻を破ったわけですね。会長から助けてもらったことで恩返しをしようと、人と人とのご縁を繋いでいく今の夢と繋がっているストーリーが分かりやすかったです。
自分に掛けた制限を外してほしい
記者:最後に、夢や希望も無い、いろいろなことに諦めている人へ向けてメッセージをお願いします。
アラレ:自分に制限をかけているので、その制限である固定観念を外してほしいです。違う世界を見ることで将来性を感じてもらい、器を大きくしてもらうことが第一手段です。
記者:アラレちゃん、本日はありがとうございました。
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編集後記
今回インタビューの記者を担当した吉田&岡山です。
実家での抑圧された環境によって、”強烈な諦め”と”何でも自由にやりたい”という、アラレちゃんの自己内に生まれた矛盾。その矛盾から解放されたときに本当のアラレちゃんを認識できたのでしょう。
今後の更なるご活躍を楽しみにしています。