「日本で出来ないことは、北海道で」 エコモット(株)代表取締役 入澤拓也さん
プロフィール
入澤 拓也 いりさわ たくや
1980年生まれ、北海道札幌市出身。映画監督に憧れ、単身シアトルへ行くも当時最先端のITに触れ、没頭するようになる。帰国後の2002年クリプトン・フューチャー・メディア(株)に就職。2007年環境・携帯・北海道をテーマにしたエコモット株式会社を起業。IoTインテグレーション(インターネットと物の一体化)事業を展開。環境に優しく、コストを削減するロードヒーティング(道路の雪や氷を溶かす施設)の遠隔監視システムなど様々なITソリューションを提案する。北海道から始まり、全国へ展開。2018年上場。「北海道IT推進協会」会長、「北海道モバイルコンテンツ推進協議会」副会長、「さっぽろイノベーションラボ」理事、「チャンス!ホッカイドウ実行委員会」委員長。
北海道のIT産業を盛り上げたい!
記者:入澤さんの夢はなんですか?
入澤拓也さん(以下敬称略):会社と公的な活動の二つがあります。会社の方は『会社をやる以上「上場したい」 』という夢がありました。それで、2年前(2018年)に上場(東京証券取引所マザーズ)させてもらいました。
水泳選手がオリンピックを目指す人ととそうじゃない人がいるように、自分は会社をやる以上は上場したい、そこまではやりきりたいという夢がかないました。
次は社員の満足度をさらに上げること、会社を大きくすることですね。と、同時にもっと地域に貢献できる企業になることを目標にしています。
あと、公的にやりたいのは北海道のIT産業を盛り上げたいということですね。
記者:入澤さんは北海道IT推進協会の会長もされていますね。
入澤:はい。会長就任は令和元年ですが、IT推進協会の理事になったのはもう四年前で。今いる方々が僕のやってきたことを見てくださって、理事になれたと思っています。僕は理事の中でも一番若輩です。35人の先輩方を目の前に理事会をやっています(笑
ITは未来を見据えて社会変革を起こしていくものだと思うんです。そこにすごく関心がありますね。北海道のIT産業を盛り上げる、その為にスタートアップ企業を増やすための取り組みを開始しています。
実は2000年ごろに北海道のITがかなり盛り上がった時期があったんです。その時期に僕自身は20代、その時40代だった方は今60代で引退をむかえています。次に続く人がいないと。札幌としてのITの伝統を紡ぎたい想いなんです。2000年ごろは本当にすごかったし、福岡より札幌が一目置かれて移動たんです。
札幌のITのステータスをあげ、企業を増やし、就業人口、売り上げ高を増やしていきたい。北海道のIT産業は今、売り上げが約4500億円、収容人口が2万3000人です。それを1兆円、5万人にするのが2030年の目標です。今やるべきことを確実にひとつひとつ進めています。
ITは産業や生活の基盤となるインフラ
ITはインフラ(産業や生活の基盤)ですってお話をいろんなところでしています。道路建設に1億円かけても何も作れない。(道路建設1キロメートルあたり10〜20億円)。けど、ITに1億かけたらいいものを作れるんですよ。世の中の人の為になるものを作り出せるんです。
公共事業で道路をつくるかのように、ITインフラを作りたい。いろんな分野に応じたITを作っていくことでお金を生み出す力になるんです。
映画監督から最先端のIT業界へ
記者:IT(モバイル)をやろうと思ったきっかけはなんですか?
入澤:映画が大好きだったんで、映画監督になりたくて高校を卒業してアメリカに留学したんですよ。映画と言えばロサンゼルスじゃないですか。ハリウッドとか。
でも、暑いの苦手だし、シアトルマリナーズのケングリフィー・ジュニアのファンだったんで、観に行こう!と思ってシアトル留学にしたんですよね。
まず語学の勉強をしようと大学内の語学学校に行ったんです。その頃自分はパソコンを持ってなかったし、インターネットもしたことがなかった(1999年当時の日本国内インターネット普及率は約20%。主に企業内で利用されていた時期。)。大学の図書館に行ったら、みんなパソコンしてたんですよね。今じゃ当たり前かもしれませんが、当時はものすごいびっくりしました。見たことない光景。全員パソコンの前でタイプしてたんです。唖然としましたね。
彼らはチャットやメールをやっていたんですよ。ノートパソコンが30万円の時代ですよ。僕もパソコンを買って、ITを学びはじめたらたらすっかり虜になって。当時シアトルにはMicrosoft、Amazon、RealNetworksの本社があったんですよね。すごいITが盛んで、最先端でした。大学の授業にもITの授業がたくさんありました。これからの社会はすごいことになる!と直感して、ITをやりたい!これでビジネス変革を起こしたいって思いましたね。
ありがとうって言われる仕事がしたい
記者:それで今の会社(エコモット株式会社)を起業されたんですね。起業のきっかけは何ですか?
入澤:人の役に立ちたいっていう想いですね。会社を立ち上げる前に携帯電話の着メロを売る仕事をしていたんですよ。すごい莫大な売り上げをあげていましたが、10万人がダウンロードしていても、その相手が誰なのか全くわからないじゃないですか。
僕の奥さんは幼稚園の先生をしていて、結婚式の時にサプライズでたくさんの園児が登場して、「先生、おめでとう!いつもありがとう!」って祝ってれたんです。「ありがとうって直接言われる仕事って素敵だな」ってその時すごく思って。そう言われる仕事をしたいなっていうのが元々あったし、それでよりその想いが強くなりましたね。
それで「環境・携帯・北海道」をテーマにした会社にしました。エコモット(ECOMOTT)のロゴも「ECO」と「M」は携帯電話が2つ折りたたんであるM、そして「TT」が「北」という字になっているんです。
2008年ごろの環境ブームの時に、ちょうど環境ITをやって、ソーシャルベンシャーともてはやされて、風に乗りました。リーマンショックで灯油代がドーンとあがって、ロードヒーティング代が跳ね上がった。ITを活用した遠隔監視(ゆりもっと)で効率的な利用を可能にして、灯油やガスの使用削減、コスト減、CO2削減に貢献できました。それで会社はすごく成長していきましたね。この事業は秋冬が本番でその時期とても忙しかった。次は春夏忙しいことをやろう!と思ったのが農業だったんです。
1つも売れない!から、大ヒットへ
畑の写真を撮って送信するカメラを開発したんです。「かかしくん」というネーミングで。食の安全を守る為に作ったんですが、全然売れなくて。展示会でもさっぱりだったんです。でも「これ、建設現場で使えるんじゃないの?」と人に言われて、改良して建設現場で使えるようにしたら、大ヒットしたんですよ。
建設現場の状態を撮影して、携帯の電波で送信して、その場にいなくても状態が把握できることで「安全管理」「生産性向上」「作業精度向上」この三つの効果をもたらしてくれました。
当初はカメラで撮影したものを遠隔で見ることができる、というものでしたが、現場のニーズを把握しながら川の水位や傾斜の計測など、人の手で何時間、何日もかけてやっていたことを機械にやれるようにしました。
2009年〜2011年に地滑りが起きそうなところにセンサーをつけて、地滑りを検知したらすぐに緊急避難の警報を鳴らせるようにしました。
震災をきっかけに命を守るIoTへ
2011年の東日本大震災の時、「IoTを使えばもっと命を守れたな」と、思ったんです。自分にも子供がいたし、命を守ることに対して意識がすごく強くなりました。ソリューション付けていれば、津波の被害を防ぐこともできたんじゃないか、って。防災、減災への意識が強くなりましたね。
2014年8月の広島土砂災害で70名以上の方が亡くなりました。地滑り対策のソリューションを付けていたら回避することができたと思うんです。そこにもすごい課題感を感じましたね。
外からみた北海道、札幌の魅力
記者:なぜ「北海道」なのですか?
入澤:地域の為に頑張る祖父を見て育ったからですね。母方の祖父と一緒に暮らしていたんですが、民生委員や地域の役職を勤めて、地域のために尽くす人でした。「俺が死んだら香典が400万集まるぞ!」なんて冗談で言ってたら、本当に集まって。それくらい人望がある人だったんです。
僕はそのじいちゃんについていって、色々なものを見せてもらいました。だから自然と地域のために、という思いになったんじゃないかな。
あと、アメリカに行ったのも大きかったですね。グローバルな時代に、外から客観的に日本や北海道、札幌をみる視点が得られたのは、大きかったと思います。アメリカで、「Sapporo」という地名が知られてて、「Beer、Snow festivalだろう?」って言われるんです。他の都市、例えば大分からの留学生もいたんですが、知られてなかった。世界に知られている地域と知られていない地域があるけど、札幌は知られているんですよ。
それに、札幌の魅力はビールと雪まつりだけじゃない。紅葉すれば他とは比べ物にならないくらい一面真っ赤になるし、雪が降れば真っ白になる。夏はもちろん緑が溢れているし、こんなにはっきりと景色が変わって、こんなに住みやすいところ他にないなって思うんです。
でも、観光や食のイメージがあっても、ビジネスのイメージはもたれにくい。「遊ぶところでしょ」って言われることもしばしば。札幌、北海道でビジネスしようって人は決して多くない。それに進学で道外に出た人が、給料や働き場所という点をクリアできず、帰ってこられない。そんな人たちが帰って来やすい、働きやすい、ビジネスする場所になって欲しいんです。
未来の常識を作る
エコモットの理念が「未来の常識を作る」なんですよ。今は新しいことかもしれないけど将来当たり前になる。ロードヒーティングの遠隔操作にしても、ドライブレコーダーに通信機能をつけてモバイルでデータを送る(Pdrive)のも当時は最先端だった。そういうものがこれからもたくさん出てくると思います。未来を先取りしてやっていくことで、それが常識になる。
「これからの世の中こうなっていくよな〜人口がこうなって、この時にこのソリューションがあったらこうなるな〜」とか想像していく中で、いろんなものが生まれてきます。
これからどんどん増えてくるのが「遠隔ほげほげ」。遠隔医療、遠隔授業に遠隔制御。なんでも遠隔でできるようになる。今はまだ、教育の機会が平等とは言えないじゃないですか。地域や家庭によって大きく差があります。だからこそ遠隔で安価で授業を受けられることは大事じゃないですか。
遠隔医療だって、まだまだ保険点数にならないものも多いし、それじゃ普及は難しいですよね。北海道はそういう設備や整備を特区としてたくさん作って実際使ってみる。北海道は「遠隔ほげほげでいいなー」といわれる地域にしたい。
それから、日本て規制がいっぱいあるんですよね。宿泊施設はFace to Faceでチェックインしなきゃいけないという規制があるけど、クレジットカードでチェックインすれば十分じゃないですか。警備員は外国人は就業できないという規制もある。コンビニはOKなのに?って思いません?それで工事ができないこともあるんですよ。北海道がそういう規制を変えて、実験する特区になっちゃえばいい。それで「北海道いいなあ」と言われるようにしたい。
それと北海道で「デノミ」(国の経済が著しくインフレ化(国内の通貨の過剰化)した時などに行う経済政策。 新しい紙幣や貨幣を作り出し循環させる)をやったらいいんじゃないかな。地域通貨で500億作って、貧困家庭の救済や、自動運転の規制緩和、ウーバーの解禁・・・独自のいろんな政策ができますよ。
それと、お年寄りのユートピアみたいなものを作りたい。郊外の一区域でお年寄りにすごい優しい、便利で住みやすい街を作るんです。全部キャッシュレスで、温泉施設があったり、自動運転のバスが街中を走ってたり。それで中心地の空き家に子育て世代が住んで、活発に経済活動や様々な活動がしやすい環境を整える、とか。
記者:やりたいことがたくさんありますね。
入澤:そうですね。未来の事を考えるの本当に好きで。映画好きなのもそれだと思います。映画は夢や憧れがあるじゃないですか。アメリカがすごいのは戦後の日本に映画で夢や憧れをばらまいたところだと思います。
海外ドラマの「The100」 はアメリカと中国の核戦争で地球が住めなくなったあとの話なんですよ。実際、アメリカが持っている核と中国が持っている核で戦争したら、地球終わりじゃないですか。ありえない話じゃない。SFですけど、こういったものってよくよく未来を考えて作られていると思います。
記者:入澤さんとお話していると、未来が楽しくてどんどんワクワクして、「なにかに挑戦しよう」という気持ちが湧いてきますね!本日は貴重なお時間をありがとうございました!
入澤さんが代表取締役を務めるエコモット株式会社についてはこちらをご覧ください。
〜編集後記〜
取材を担当した原田尚美です(写真は左から原田卓、入澤拓也さん、原田尚美。)現代人の思考は目前の仕事や給与、家事や支払い、自分自身や身近な人のことでパンパンです。「未来」という漠然としたものに対して思考しにくい教育の影響や時代背景があります。その中でも「未来について考えるのが好き」な入澤さんは本当に稀有な存在。こんな風に未来を思考し、アイデアを出し合って、新しい時代を切り開く人材をたくさん作っていく必要性を感じました!
同じく取材を担当した原田卓です。
「日本ができないこを北海道がやる」「札幌のITの脈略を継いでいく」など、とても共感するフレーズがバンバン出てきて、北海道の開拓者精神が掻き立てられるインタビューでした!